山本周五郎 モロッコの南の町から
昨日たまたまyoutubeで山本周五郎の小説の朗読を聞きました。
タイトルは判りません。聞いていくと次第に以前読んだことのある小説であると気付きました。50年近く前に読んだことがありました。
その時も高円寺の安アパートの一室で感動して声を出して泣いた覚えがありました。
この物語に出てくる挫折の連続の果の失意で、この世から消えようと山中を彷徨い死にかけたところを村人に救われた青年の境遇と自分の境遇がよく似ていると思いました。私も同じように、この世から消えたいと思っていた時に巡り合った本でした。
哲学書や人生読本的な本、有名な小説の中から自分が今持っている悩みを解消する手がかりを本の中に探していたのです。
しかし、私の知りたいことを、それらの私が読んだ本の中に見つけることは出来ませんでした。
疲れ果てた後、たまたま巡り会えたのが山本周五郎の小説でした。そしてこの小説でした。
藩内の世継ぎ問題で彼は私心を捨て誠実な気持ちで一方の世継ぎ候補を押しましたが、城主は他の候補を推しており、城主の判断でその候補が世継ぎに決まりました。
それで終わったわけですが、以前と同じように藩努めをするのは、彼が誠実に働いただけに難しく、藩を離れて江戸に出ていきます。
江戸では士官の道でなく、自分の力を出し切って一生懸命働けて評価されるような仕事を探すのですが、世間はこんな生真面目な青年には冷たいのでした。
そして行き着いたところが、山中を彷徨い自然消滅する道でした。もう世間に絶望していたのです。
死ぬ直前のところを山奥の村のお爺さんと孫娘に救われます。
そして彼らの働く姿、大自然に慰められ生きることを決意していきます。
わらじ作りを決心し、彼が自国で作っていた丈夫なわらじを作り始めます。評判はいいのですが、何しろ壊れにくいものなので、一度買ったら長持ちし、次のわらじが売れないのです。問屋の番頭にもっと手抜きしてもらいたいと頼まれますが、そんなイカサマなことは彼には出来ません。
わらじ作りは断念して人夫の仕事に出ますが、彼は働きすぎて他の人夫から浮いてしまいます。休み時間をチョロマカシもっと長く休めと仲間に言われますが、彼はそんな不誠実なことは出来ないのです。
失意の中で山の中を歩いていて山葡萄か何かを見つけ一粒二粒摘もうとしたら、若い百姓娘に泥棒と罵られます。大自然の中にいる心地よさは吹っ飛んでしまいました。
彼はお世話になったお爺さんと孫娘に別れを告げ死の道に進もうとします。
その時に寡黙なお爺さんに彼の生き方を諭されます。
あなたは、世間の悪いとこばかし問題にするが、そういうあなたも世間の一部であり、自分を除外していると諭されます。
あなたの作ったわらじは素晴らしいもので使う人に喜ばれていた。そのわらじこそ、あなたの作品であり、そこに価値があると指摘されます。
そうしている所に、彼に来客があります。
彼の国許からの使いでした。世継ぎ問題で辞任したものを、また城主が召し抱えたいというものでした。
何故こんな山奥の村に彼が居ることが判ったのかとの質問に国許の使いはわらじを買ったら国許で作られている丈夫なわらじと同じであり、これを作った人を探してたどり着いたとのこと。
彼はまた仕官の道に戻ることになります。
この小説、山本周五郎自身の人生を語っていたように思います。
彼は純文学と呼ばれる分野を志していましたが、彼の小説が発表される雑誌は大衆雑誌でした。彼の時代小説は大衆文学と分類されていました。三島や川端などとはレベルの違うものと思われていたのです。
青ベカ物語の時期だと思いますが、
彼が落ち込んでいたころを書いたような気がします。
川端や三島は私を救うことは出来ませんでした。山本周五郎だけが私に生きる力を与えてくれたように思っています。