道具 モロッコの南の町から
塗装屋が昨日仕事が終わり道具を私の家に置いて行きました。今朝その道具を若い人が取りに来ました。その時に彼らの道具ではない私の皮切り持って行ってしまいました。
昨日、彼らが去った後、残った生石灰を使って玄関周りの塗装をした後、彼らの道具の近くに置いたのです。
その時に使った刷毛も持って行こうとしたが、それは気付き取り返しましたが、皮切りは気付きませんでした。
若い人が去った後に気付きました。大して値のはるものではないけれど、この皮切りは絵を描く時に20年以上も使って来たものでした。この間、一緒に苦労をしてきた仲間だったのです。
まだ長い梯子が置いてあり、塗装屋は必ず来るのですが、無くしたものが小物なので返ってくるか判りません。
この塗装屋の若い人、悪気があって持って行ったことではないのははっきりしていますが、私の方は気が休まらないのです。
使い慣れた道具には私達は特別の感情を持ちます。もう他人ではないのです。私の友人なのです。
昔、自転車で博多から東京まで旅行した時に乗った自転車には今も特別な感情を持っています。この自転車、実家に置いていたら盗まれてしまいました。
それから、東京から岩見沢、東京から北九州とホンダスーパーカブで旅行したことがありました。このバイクをもらった友人のところに置いてモロッコに帰ってきました。その後、このバイクがどんな運命を辿ったか私は知りません。
しかし、今でも懐かしく思い出します。生死を共にした忘れがたき友人なのです。道具にはこのように道具そのものの価値以外に愛着が生まれます。
現在行方不明の私の皮切りにも同じ思いがあります。